読み書き

2-3枚の概念ペーパーでも、章立てのあるレポートでもそうなのだが、何かを「書く」ためには、「読む」という作業が自分の頭の中である程度のレベルに達しないと書けない。という当たり前のことを改めて認識。


幾つもの関連文献を読むことで、世界の潮流の中での自らの立ち位置が見え、問題意識が明確になってこないと、自信を持って自分の言葉を紡ぐことはできない。このため、結局、複数の文献のつぎはぎのような文章が出来上がる。


本を読むスピードが人の数倍遅い自分にとっては、人の数倍時間をかけないとこのレベルに達しない。先月配属になって一週間で、包括的な文書をまとめないといけない仕事があり、最善は尽くしたものの、精神的に非常に居心地が悪かった。でも結局のところ、本質となる部分は、最初の直感からあまり大きくは変わらなくて、言葉遣いや論理構成がこなれる、というだけのことかもしれないが。でもその後者が、というかその土台となる自信と信念みたいなのが、人に説明して共感してもらうために重要なんだよね。


ケニアの現地事務所にいた頃は、day-to-day operationsなので、こういった思考体操よりも、また別のスキルが要求された。うちの組織の言葉でいうと、リージョン(=オペレーション)とアンカー(=ナレッジ提供)を行き来することで、知的インプットとアウトプットの良いバランスが取れるという同僚の言葉を実感。今は、文献を読むことを求められる環境に感謝しつつ。