予告→実編

今日しようと思っていたことが出来ないようなので、早々に予告を果たしておこう。どうせ塩漬けにするほど詰まってはいないし、友人が遊びに来ている間はブログの更新はしない。


後輩の書いているブログのエントリがとっても良かった(エントリを読まれる方は(2)も併せてどうぞ)。複雑な話を分かりやすく書けるのは、頭の良い人の証だ。


で、今日の朝ぼんやり考えていたのは、こんなこと。「ある生物群が環境に与える影響の大きさが、他の生物群が持つ多様性のおかげでが小さくなるという緩衝作用」というのが、詰まるところ民主主義の意義なんじゃないかと。


日本の政治を見てもアフリカ諸国の政治を見ても、民主主義ってなんなのかしらと思うことは多い。民主主義の発達が経済発展の前提条件とする理論には昔から議論が多いが、民主主義でなくても急激に発展した国の例は幾らもある(例えば、シンガポール、中国)。それじゃあ民主主義が国の発展に果たす役割ってなんなのかしらと考えるに、それって緩衝作用なんじゃないのかと。


民主主義では、多様な意見を有する人が集まることにより、自分たちの種(党とか)に都合の良い方向への急速な変化やpositive feedbackを阻む緩衝作用が生まれる。としたら、日本の政権で改革が遅々として進まないことに不平を言うのは、民主主義の長所を否定していることにもなるんじゃないか。


独裁国家では、改革が進むのは早い。例えばルワンダでは、汚職がほとんどなく、経済成長を続け、治安も良く、街も美しく保たれている。しかし独裁政権で発展した国は、統治が国の発展とは異なる方向へ走ってしまったり、独裁者が交替するときに逆行してしまうリスクを伴う。


なかなか変わらないというのが、社会という系の安定性と撹乱耐性を維持するということとであり、民主主義はそれを制度化したものなのかしらと。とすると、民主主義は撹乱の多い環境下でこそ優先できるのか。でも、撹乱されたときに、変化後の環境に適した個体(意見を有する人)が速やかに優先できる柔軟性も保証されていないと、変化についていけずに死に絶えてしまうのかな。


とまあ、当たり前のことでも、生態学からの対比で考えを巡らすのは楽しく。思えば理学部の大学院にいた頃は、こういう知的好奇心を刺激してくれる人が周りにたくさんいて、あれはやっぱり楽しい時間だった。