国際交渉という英語はない

メーリングリストを通じて、ある日本のNPO団体の講演会の案内が回ってきた。「政治、経済、経営、科学技術、文化、スポーツ。いずれの分野をとっても国際的に孤立していては前に進めない時代です。そのため、国際交渉を含め外国とのあらゆるコミュニケーションが益々重要となります。語学はもちろん大切ですが、語学が出来ればすぐ国際的に活躍できる訳ではありません。マルチ交渉の典型である国際会議を例にとっても、初めて出席すると戸惑うことが多いでしょう。経験と信頼を築くことが鍵です。
○○○(団体名)は、国や企業・団体を代表して国際会議、国際交渉に参加され長期間に亘り活躍された方々の貴重な経験やノウハウを活かし、これらを世代間で共有して頂くための仕組みと筋道を構築しようと考えています。」


??
なんとなく違和感を感じて、ホームページも覗いてみた。設立者には役所関係者の名前が並び、経歴には「国際交渉・国際会議等に長く携わる。」との紹介文。


なるほど、納得。こんなこと言うのはやっぱり役所関係者よねえ。


何に違和感を感じるかって、国際的な意思決定=国際交渉や国際会議、国際的に活躍=国際交渉に精通といった図式である。国際交渉に経験と信頼が重要で、いわゆる職人芸的なノウハウを身に着ける必要があることはまったく同意する。今時、木槌を叩いて決議を採択しているなんて、一体いつの時代の形式主義の名残だって話だし、議事進行も交渉手法も慣れなきゃ意味不明である。しかし、それは官僚たちが出席するごく一部の国際会議で通用するスキルであって、あれが国際的な意思決定を代表していると思うのは大きな奢りであろう。国連総会や条約会議のように、政府関係者が出席して意思決定する会合が世の中のスキーム形成に寄与しているのは確かだが、経済界や政財界、ソーシャルネットワークなど世界の動きを大きく左右しているものは別にある。そしてそこでの意思決定に政府の国際交渉スキルは通用しない。


政府機関の国際交渉で必要となる特殊ノウハウを各個人が属人的に習得するのは効率が悪く、それを伝承し共有していくのは有意義である。でもそれは役人同士でやればいい話だ。もちろん根回しの仕方とか舞台裏での交渉とか立ち居振る舞いとか、ある程度共通するものだってあろうけど、それって非常にポリティカルな、いわば政治(または賭け事)のノウハウであって、それを美化してかっこいいものかのように語る風潮には違和感がある。


そもそもね。「国際交渉・国際会議等に長く携わる。」なんて、日本語でしか理解されない言葉ですよ。英語でinternational negotiationやinternational conferenceと言ったら、単語の意味は通じるだろうけど、文意は決して通じない。そもそもそんな言い方しないし、そこに価値を見出してないのだ。国際交渉を長くやってましたなんていうと、いわば通訳者と同様で、ネゴシエーター(交渉屋)という専門職人として、特に分野を問わず、顧客が望む同意事項に到達するためのサービスを提供する代行者(エージェント)という意味になってしまう。役人の英文CV(履歴書)で「○○条約会議に出席。」などと言うのを見るが、出席すること自体に何の価値があろうか。


「国際交渉・国際会議等に長く携わってました」と英訳して言うことのコミュニケーションリスクを理解すること、要は世界の様々な価値基準や捉え方を想像できることのほうが「国際的に活躍」する上でより重要だと思うけどなあ。