Social Entrepreneurship

うちの組織の主な顧客は途上国政府だが、NGOや民間機関への融資や補助も少ないながら行っている。そのうちの一つである、NGOを通したユース(若者)支援プログラムの終了時評価報告書を書くことになり、現地視察に行ってきた。


ケニアで若者というと大体18-35歳くらいまでを指し、実は人口の半数以上がこのカテゴリーに入る。彼らの多くは職がなく、社会的にはまだ一人前と認められず、悪事に手を染めたり、レイプやドメスティックバイオレンスの被害にあい、若くして妊娠したりHIV/AIDSに感染したりと多くの問題を抱える一方で、国を明日を支える原動力として、重要な役割を担っている。


貧しい生活の中で、自分の村に戻り、有志で集まって、同様に貧しく社会的に弱い立場にある若者の生活向上や村の環境改善に取り組む若者たち(自分とほとんど変わらない年齢)の姿は、感動するとともに頭が下がり、身の引き締まる思いだった。


今日会ったユースグループのリーダーの生い立ちはこうだ。


彼が7歳のとき、彼の父親は家族を捨てて出て行ってしまった。残された母子での生活は苦しく、母親は子供を十分食べさせるだけ稼ぐことができず、彼ら兄弟は都会に出てストリートチルドレンとなった。数年間ストリートチルドレンとして過ごす中で、同郷の名士に見出され、村に戻って学校に通わせてもらうことができた。彼は頭が良く、村一番の成績で卒業し、大学への奨学金を得ることができた。ナイロビ大学(ケニアの東大)で学んだ彼は、在学中もナイロビのストリートチルドレンの支援などをボランティアで行っていたが、卒業後、安月給ながら定職に就くことができた。その後幾つかの仕事を経験したものの、あまり性に合わず、むしろ自分と似たような境遇のストリートチルドレンや孤児たちのサポートに情熱を傾けていった。その後、仕事を辞めてユース支援の活動に専念するようになり、ストリートチルドレンや孤児、親の庇護を十分に受けられない子供のレスキューセンターを運営し、志を共有する妻と二人三脚で常時20人ほどの保護された子供と一緒に暮らすようになった。当然生活は貧しく、自分も子供も食べるものがない日もままあった。


しかし、各地の学校を拠点として、地域の若者を対象としたスポーツのクラブ活動を組織し、試合などを通じて結束力を高めた上で、クラブ活動のあとにカウンセリングやHIV/AIDS教育などを組み合わせるアイディアでうちのプロジェクトのグラントを得ることができ、それがきっかけとなって知名度を高まり、幾つかのドナーの支援が受けられるようになってきた。教育費が払えなくてドロップアウトする子供を防ぐために学校での現金作物の栽培を支援したり、奨学金制度を運営したりと活動の幅も広がっていった。さらに、村の森林伐採と土壌浸食の問題に対応するため、村の大人と一緒になって環境保護グループも結成し、自治体の指導を受けつつ、砂防ダムを作ったり、植林や水源地の保護活動も行っている。


Social Entrepreneurshipとはまさにこういう活動なのだと思った。村の生活を、子供の将来を良くしたいという思いが、セクターという垣根を越えて様々な活動に発展し、徐々に周囲の大人の理解と協力を得て、支援の輪を広げている。それでもなお自身の生活は苦しく、年末に子供たちに食べるものがなかったところ、クリスマスの寄付でなんとかやり過ごせたという。苦難の多い境遇を淡々と話し、それでも笑顔を絶やさない彼の前向きな姿に、尊敬や希望や自省など様々な思いが交錯して、涙が出そうだった。