アフリカの真珠

2年ぶりのウガンダは、相変わらず緑が多くて美しかった。


土曜の飛行機は派手に出発が遅れ、5時間遅れでナイロビを発つ。昼過ぎにカンパラに着くはずが、ホテルに着いたのは夜の9時。悪評高いケニア航空は、乗客数が少ないと、一方的に便をキャンセルして朝と夜の便を統合することもあるらしい。


今日の昼はSIPAの先輩(現在WFP)とそのハウスメイト、夜はNEMA(環境庁)の元上司と再会を楽しむ。


NEMAの元同僚達にはケニアに赴任する際に連絡したのだが、一人は亡くなり、一人は別の役所に移っていた。亡くなったのはまだ40代前半、働き盛りのプロジェクトリーダーである。聞けば、手術のミスで亡くなったという。ショックだった。


アフリカにいると、身近な人が亡くなるということがそれほど珍しくなく起こるところが、圧倒的に先進国と異なると思う。ウガンダでプロジェクトを担当していた頃も、コンサルタントの一人が突然亡くなったりした。死が日常の生により隣接している感じを受けた。


夜御飯に再会したのはNEMAのDeputy Executive Director(いわゆるトップ2)である。彼は非常に優秀で、彼とExecutive Director (ED)の2人でNEMAを切り盛りしており、ウガンダNEMAの評判を高める原動力となっている。


しかし、今日会った彼は、ちょっと疲れた様子だった。あまりの仕事の多さに疲弊し、あと1−2年働いたら、NEMAを去るつもりだという。彼はまだ50歳だというのに。忙しくて、上述の同僚が入院中に見舞いにも行けないまま亡くなったことを悔やんでいる様子だった。EDも近く去るつもりだとのこと。


ウガンダケニアでは優秀な職員が少ないため、優秀な職員に過度に仕事が集中する傾向がある。NEMAの場合は、彼の説明によれば、他の役所ができない仕事を全部NEMAに回してくるため、全体の負荷が過大になっているのだとか。内部にいたときに私が感じたのは、それに加えて、彼らtop managementをサポートする職員の体制が弱いということであった。


彼がいなくなるのはウガンダ政府にとって大きな損失だと思うが、彼の決心は固いようだった。辞めてなにするつもりなのと聞いたら、研究所にでも勤めようかなと言っていた。


昼に援助する側からの視点で散々話をし合ったのち、夜に援助を受ける側からの率直な意見を聞いて、いろいろ考えさせられた一日だった。